一昨日、母の13回忌にみんなに見せるために、両親の
古いアルバムを整理しました。
整理していくうちに、父の事も、母の事も生きている間にはあまり
考えたり思ったりしなかった事実?を改めて認識しました。
父は当時で言うモボ(モダンボーイ=おしゃれ男子)でした。
イケメンではないけど、背も高く細身でおしゃれが似合う人でした。
父は愛知県の小さな島の出身で、島の出世頭がいる横浜に
子供の時に家族とともに出てきて、同じように出てきてる従兄たちと
良く交流していたようです。
昭和11年 19歳 左のは左側、右のは上が父です。

昭和13年 21歳 二人で写っているのはいずれも右が父

左上の写真にはスターのようにサインしてある(笑)
右上の写真は伊達メガネ?サングラス?してるし。
左下のはハンチングにトレンチコート、首にはマフラー。
母から聞いた話では、父は尋常小学校(6年)を卒業後、テーラーに
奉公に出たそう。
昭和の初期、まだ子供と言える頃からテーラーで働いていて、
様々な洋装を目にして、早くからおしゃれに目覚めたのでしょうか。
いずれもお正月過ぎに撮られたもののようで、この年の夏には
出征の写真があり、後は軍服姿や戦地での写真ばかりでした。
一方、母は青森県の出身。
高等小学校卒業後14歳で、電話交換手に。
当時言われた職業婦人で、きりりとはかま姿です。
昭和13年21歳 いずれも右が母です。

子供の欲目かもしれませんが、美人でしょう
同じ年の夏でしょうか、同僚たちと遊びに行った時の写真らしい。
一番左端が母です。

これも欲目かもしれませんが、群を抜いてきれいだと思う。
やや顔が大きめですけどね
当時、女優の高峰秀子に似ているとよく言われたとか。
比べてみると、全然似てない気がするというか、似てるなんて
厚かましいかも
母はおでこが広いのがずっとコンプレックスでした。
高峰秀子の愛称が「デコちゃん」だったらしいから、そこがどうかして
リンクしてしまったのかもね
こんな二人がどこで出会ったかというと、戦後の横須賀です。
母は戦後、洋裁の技術を身に着けたのですが、まだ洋装が普及
していない時代の青森では仕事がなく、戦前に東京で結婚して、
戦後に横須賀に移り、カーテンやソファの張替えの店をやっていた
長姉をたより、そこでミシンでの仕事をしていました。
父は横須賀にあった米軍基地と取引のある会社で運転手をして
いて、母のいた店にも出入りがあったよう?
そこで母を見初め、親の反対を押し切って結婚したと聞いています。
父も戦前、テーラーで働いていたので、ミシンを踏め、色々縫うこと
が出来ました。
そんな所も、親近感を抱いたのかもしれませんね。
そんな話も、話として聞いていただけでしたが、母の若い頃の写真を
改めて見てみたら、やはりきれいだったから惹かれたのかなと、
分かった気がします。
ここからは私の記憶にもある写真。
昭和36年 父44歳 大山

姉と兄と3人で大山にのぼった時の写真ですが、この年代としては
背が高く、痩せてスマート、若い頃のように、ちゃんとポーズを取って
いますね。
昭和37年1月 母44歳 野毛山遊園地


昭和37年8月 父45歳 中尊寺

高速もなかった時代に、一家で母の故郷青森に車で行く途中、
立ち寄った中尊寺へ向かう坂道。
私は11歳でしたが、父のシャツが当時流行っていたグラデーション
だったこと、白いハンチングを粋にかぶっていた事を覚えています。
後ろに写っているのが左から、やはり当時流行っていた小さめの
スカーフを頭にかぶっている姉と、母を真ん中に私と妹の二人です。
途中、母だけの写真を撮っていました。
この後も父は母の写真をたくさん撮っています。
母の美しさを愛していたのかな…なんて、思います。
たくさんありすぎるので、この辺りで止めておきます。
昭和40年10月 母47歳 青森の祖母が来て、横浜港で二人で。

その後、横須賀の伯母(母の長姉)宅へ行き、伯母の孫と。

幸せそうな母。
やっぱり、綺麗だなと思う。(スミマセン手前味噌で
)
しかし、この約1か月後に父は、釣りに行き、高波にのまれて、
亡くなりました。
島育ちで泳ぎを自慢にしてましたけど、寒い冬の海で、自慢の泳ぎ
は生かせず、心臓麻痺でした。
当時まだ中学生だった私、父は好きな釣りで亡くなったから本望
だろうけど、残された家族はこの後ずっと大変だったから、
二人の気持ちなどを振り返ることなんてほとんどなかった。
母は父と結婚して幸せだったのだろうか?
と、時々思っていたけど、古いアルバムを整理して見ていくうちに、
父の亡くなる前の3年ほどは、生活も安定していたのか、あちこち
家族で出かけているし、母の幸せそうな笑顔もたくさんあった。
良かった、いろいろ大変だったとしても、きっと幸せだったと思う。
最後に、母が美人だと散々自慢しましたけど、
安心してください!
私たち姉妹、だれも美貌を受け継ぐことは出来ませんでした
からっ!



古いアルバムを整理しました。
整理していくうちに、父の事も、母の事も生きている間にはあまり
考えたり思ったりしなかった事実?を改めて認識しました。
父は当時で言うモボ(モダンボーイ=おしゃれ男子)でした。
イケメンではないけど、背も高く細身でおしゃれが似合う人でした。
父は愛知県の小さな島の出身で、島の出世頭がいる横浜に
子供の時に家族とともに出てきて、同じように出てきてる従兄たちと
良く交流していたようです。
昭和11年 19歳 左のは左側、右のは上が父です。

昭和13年 21歳 二人で写っているのはいずれも右が父

左上の写真にはスターのようにサインしてある(笑)
右上の写真は伊達メガネ?サングラス?してるし。
左下のはハンチングにトレンチコート、首にはマフラー。
母から聞いた話では、父は尋常小学校(6年)を卒業後、テーラーに
奉公に出たそう。
昭和の初期、まだ子供と言える頃からテーラーで働いていて、
様々な洋装を目にして、早くからおしゃれに目覚めたのでしょうか。
いずれもお正月過ぎに撮られたもののようで、この年の夏には
出征の写真があり、後は軍服姿や戦地での写真ばかりでした。
一方、母は青森県の出身。
高等小学校卒業後14歳で、電話交換手に。
当時言われた職業婦人で、きりりとはかま姿です。
昭和13年21歳 いずれも右が母です。

子供の欲目かもしれませんが、美人でしょう

同じ年の夏でしょうか、同僚たちと遊びに行った時の写真らしい。
一番左端が母です。

これも欲目かもしれませんが、群を抜いてきれいだと思う。
やや顔が大きめですけどね

当時、女優の高峰秀子に似ているとよく言われたとか。
比べてみると、全然似てない気がするというか、似てるなんて
厚かましいかも

母はおでこが広いのがずっとコンプレックスでした。
高峰秀子の愛称が「デコちゃん」だったらしいから、そこがどうかして
リンクしてしまったのかもね

こんな二人がどこで出会ったかというと、戦後の横須賀です。
母は戦後、洋裁の技術を身に着けたのですが、まだ洋装が普及
していない時代の青森では仕事がなく、戦前に東京で結婚して、
戦後に横須賀に移り、カーテンやソファの張替えの店をやっていた
長姉をたより、そこでミシンでの仕事をしていました。
父は横須賀にあった米軍基地と取引のある会社で運転手をして
いて、母のいた店にも出入りがあったよう?
そこで母を見初め、親の反対を押し切って結婚したと聞いています。
父も戦前、テーラーで働いていたので、ミシンを踏め、色々縫うこと
が出来ました。
そんな所も、親近感を抱いたのかもしれませんね。
そんな話も、話として聞いていただけでしたが、母の若い頃の写真を
改めて見てみたら、やはりきれいだったから惹かれたのかなと、
分かった気がします。
ここからは私の記憶にもある写真。
昭和36年 父44歳 大山

姉と兄と3人で大山にのぼった時の写真ですが、この年代としては
背が高く、痩せてスマート、若い頃のように、ちゃんとポーズを取って
いますね。
昭和37年1月 母44歳 野毛山遊園地


昭和37年8月 父45歳 中尊寺

高速もなかった時代に、一家で母の故郷青森に車で行く途中、
立ち寄った中尊寺へ向かう坂道。
私は11歳でしたが、父のシャツが当時流行っていたグラデーション
だったこと、白いハンチングを粋にかぶっていた事を覚えています。
後ろに写っているのが左から、やはり当時流行っていた小さめの
スカーフを頭にかぶっている姉と、母を真ん中に私と妹の二人です。
途中、母だけの写真を撮っていました。

この後も父は母の写真をたくさん撮っています。
母の美しさを愛していたのかな…なんて、思います。
たくさんありすぎるので、この辺りで止めておきます。
昭和40年10月 母47歳 青森の祖母が来て、横浜港で二人で。

その後、横須賀の伯母(母の長姉)宅へ行き、伯母の孫と。

幸せそうな母。
やっぱり、綺麗だなと思う。(スミマセン手前味噌で

しかし、この約1か月後に父は、釣りに行き、高波にのまれて、
亡くなりました。
島育ちで泳ぎを自慢にしてましたけど、寒い冬の海で、自慢の泳ぎ
は生かせず、心臓麻痺でした。
当時まだ中学生だった私、父は好きな釣りで亡くなったから本望
だろうけど、残された家族はこの後ずっと大変だったから、
二人の気持ちなどを振り返ることなんてほとんどなかった。
母は父と結婚して幸せだったのだろうか?
と、時々思っていたけど、古いアルバムを整理して見ていくうちに、
父の亡くなる前の3年ほどは、生活も安定していたのか、あちこち
家族で出かけているし、母の幸せそうな笑顔もたくさんあった。
良かった、いろいろ大変だったとしても、きっと幸せだったと思う。
最後に、母が美人だと散々自慢しましたけど、
安心してください!
私たち姉妹、だれも美貌を受け継ぐことは出来ませんでした

からっ!



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最終更新日 : 2018-01-15
はじめまして * by マルちゃんママ
はじめまして。
FC2ブログへyahooから引っ越ししたマルちゃんママと申します。まだFC2で更新もしておらず、皆さんのブログをランダムに拝見してました。
プロフィールで、B型おうし座同じ、ダイエットも同じ‥痩せてないですけど💦
そして2人暮らし、と共通点がありましたのでコメントさせていただきました。
ご家族の事が書かれているところ見ましたら、中尊寺にお父様が行った写真。私は岩手で実家と嫁に来た場所の中間に中尊寺があり、毎週のように中尊寺の前を通っています。5月3日は春の藤原まつりで、毎年中尊寺は賑わいます。桜は散ってしまったのですが、とても観光には良い季節になっていますよ。
令和の初日の初コメントでした。失礼しました
FC2ブログへyahooから引っ越ししたマルちゃんママと申します。まだFC2で更新もしておらず、皆さんのブログをランダムに拝見してました。
プロフィールで、B型おうし座同じ、ダイエットも同じ‥痩せてないですけど💦
そして2人暮らし、と共通点がありましたのでコメントさせていただきました。
ご家族の事が書かれているところ見ましたら、中尊寺にお父様が行った写真。私は岩手で実家と嫁に来た場所の中間に中尊寺があり、毎週のように中尊寺の前を通っています。5月3日は春の藤原まつりで、毎年中尊寺は賑わいます。桜は散ってしまったのですが、とても観光には良い季節になっていますよ。
令和の初日の初コメントでした。失礼しました

コメントありがとうございます。
だいぶ前の記事にでしたので、気づくの遅れてごめんなさい。
中尊寺はあの小学生の時以来ずっと行っていなかったのですが、
13年前の2006年夏に行きました。
去年は青森に行きました。
東北は母の出身地なので、どこか親近感があり、
また行きたいと思ったりしています。
色々共通点があるようですね。
こちらこそ、よろしくお願います。
ブログも楽しみにしています。